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2017年9月14日 (木)

エイト社員ブログ「大病 その2」

前回、お話させて頂きました通り、
最初に運ばれた病院で緊急手術が必要といわれたのですが
手術する先生がいないとのことで、府中にある榊原記念病院に
再搬送されることになりました。
なんと、先生が「僕も救急車に一緒に乗っていきます。」と、仰るのです。
その先生の言葉で、漸く、ノー天気な私も自分の状況が飲み込めてきました。
〈非常に危険な状態〉=〈生死にかかわる状態〉・・・・・

救急車に揺られること約1時間。榊原記念病院に着くと
間髪入れずに待ち受けていた看護師さんたちに手術室に運ばれました。
そしてテキパキと手術の準備に。緊急手術のため
事前の私のデータが何もありません。血液型も身長も体重も、
過去の病歴も、何もないのです。でも、どの人も真剣そのもの。

見ず知らずの私の命を助けるために必死で、
そのピーンと張った空気に圧倒されるばかりです。
医療に携わる方々は本当にすごいですね。

手術までの準備の間、姉と娘が来て動揺していた。
「大丈夫、頑張るから! 私死んだりしないから。」と言いながら、
実は天の母に「どうか守って、こんなふうに急に迎えに来られても、
着いて行かないよ。」と話しかけていました。

まだ娘の赤ちゃんの顔も見てないし、やりたいこともたくさんある。
図書館で私が翻訳した童話を孫に読んであげたい。
 「死んでたまるか!!」
そうこうしているうちに、本格的に麻酔が効いて
次に意識が戻ったのは看護師さんに起されたときです。
「大動脈を人工血管に換えました。手術は成功しましたよ。」
 うんうんと頷きまた意識が遠のき、
次に目覚めたのは姉が私を呼んだときです。
目を開けると3メートルほど離れた所に姉、娘、娘婿がいました。

皆、目に涙を浮かべていましたが安堵の顔でした。その顔を見て、
「ほらね、私死ななかったでしょ!」と
手術台で横たわったまま手を振りました。
頭の方にいた看護師さんが「こんなにポジティブな患者さんなら大丈夫ね。」
という声が聞こえました。

臼井部長もずっといてくれて心強い限りでした。
ありがとうございます。

翌日は集中治療室でお会いできませんでしたが、
豪雨の中、白柳会長、臼井部長が来てくれました。
ご心配おかけして本当に申し訳ありません。

たくさんの方々の励ましの言葉、本当にありがとうございます。
退院した後のリハビリも、正直、三か月位はきつかったです。
一日10分でいいから歩くように言われていたのですが、
この10分もきつい。

秋の気持ちの良い空気を深く吸いながら多摩川浄水を歩きましたが、
めっちゃ!! きつい!!

上水歩道の孝行松まで3分歩いただけで、ベンチに腰掛けて息を整え、
綺麗な紅白の彼岸花に励まされながらも10分歩かずに家に戻る始末。

手術から二年、おかげさまですっかり元気になり
15分程度のスロージョグも許可されました。
日常生活には全く支障なく、美味しいものを食べて、
綺麗な空を見て、馨しいお花に癒されて毎日が充実しています。

自分が一人では生きていないこと。
皆に助けられて、支えられていること、
心から有難うを言わせてください。

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米軍・海外事業部 係長 松山 ユキ

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2017年5月23日 (火)

エイト社員ブログ 「大病」

2015年の9月9日、仕事中突然背中に激痛が走り、
胸が苦しくなって仕事場で倒れました。
実を言うとその4日ほど前からずっとだるく、腰も痛く、体調が最悪でしたが、
たぶん夏バテだろうと軽く考えていました。

9/5の土曜日は本社に急用があり、行く途中の電車でも体調最悪と友人に
ラインしていましたが用事を済ませ帰る頃には少し楽になり、
自転車で翌週の13日に受ける予定のTOIECの会場を
確認したりしてから自宅に戻りました。

でも、やはりだるいし腰も痛い。せっかくの土曜日でしたが午後からは
横になっているしかなかった。そしてその翌日の9/6日曜日も
何もやる気がおきないのです。やりかけのパッチワークも、
いつもの冷蔵庫の作り置きも、何もかも、やる気がおきません。
ただ、ただ、一日中、横になっていました。

そしてその翌日の9/7月曜日。軍休で仕事はお休み、
でも病院は開いているのでチャンスとばかりに整形外科で腰を診てもらいました。
湿布と飲み薬が処方されたのですが、あまり良くなる気配もなく火曜日が過ぎ、
9/9水曜日、10:50頃、突然の激痛に襲われることとなった。

いったい自分に何が起きたのか、現実について行くことが出来ない。
座っているのも苦しくて愛用のひざ掛けを床に敷いて横になりました。
同僚が「救急車を呼ぼうか?」と訊ねるのですが、
とにかく苦しくて答えることもできない。
別の同僚が、「そんなこと、聞いている場合じゃないよ。呼ぶんですよ!」と
119番に電話してくれました。

最寄りの救急車が事務所に到着したのはそれからどれほど経ったのか
分かりませんが、血圧を測ったり、親族に糖尿病はいるか、心臓病はいるか、
同様な症状はいるか、等々聞かれ、
遠くの方で「意識ははっきりしている。」などと聞こえる。

臼井部長も事務所に駆けつけてくれ、心強くなれました。
ただ、現場の病院には入院できないので別の救急車を待つこととなった。

その救急車は11時49分頃に着き、乗りこむ頃には足もしびれて感覚がなく、
立ち上がれるか自信がありませんでしたが、何とか救急隊員に抱えられて
立ち上がれたときは、〔自分の足で歩けるのが嬉しかったです。〕

救急車まで抱えられながら必死で歩いたのですが、
「大丈夫です、僕が支えているから、無理に歩かなくていいですよ。」と言われ、
救急車のベッドに横になりましたが、意識がだんだんと朦朧として、
半分寝ている感じ。それから搬送先が昭島の病院が決まり救急車が出発、
病院に着いても朦朧とした意識がますます遠のくばかり。

しっかりしろ!! ママの子でしょ!! と天の声が激を飛ばす。

問診の後CTスキャンで緊急手術が必要だと言われても、
なかなか自分のこととは思えずにいました。結局この病院でも手術は出来ないので、
又、次の搬送先をお医者様が電話で探して府中に行くことが決まった。
先生が受話器を置いたとき、

私  → 「先生、今の緊急手術って私のことですか?」
先生 → 「そうですよ、あなたですよ!」
私   → 「私、そんなに悪いのですか?」
先生 → 「はい! 非常に危険な状態です!! 大動脈乖離で最短で4時間以内、 
            長くても48時間以内に処置しないといけません。」

がーーーーーーーん!!!   でも、やっぱり信じられない。

だって、日ごろの私はすっごく元気なのです。唯一、15年ほど前から
血圧が高め(148-98)で降圧剤を飲んでいましたが、
一日13000歩のウォーキング、食事もヒジキや豆腐、お野菜、果物。
人間ドッグでも血液さらさらのお墨付きを頂いてるのだ。
そんな私が《緊急手術が必要です》と急に言われても、
俄かには信じることが出来なかったのです。

続く

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2016年7月20日 (水)

エイト社員ブログ 「姉」

4月、姉に誘われて箱根旅行に行ってきました。
近場なのに箱根は初めてです。新宿からの小田急線もお初。
小田原で一日早く来ていた姉と待ち合わせて、
まずは、大雄山線に乗り換えて大雄山道了尊と
十一面観音を見に大雄山最乗寺に行きました。

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高尾山ともよく似た感じのお寺さんで、天狗さんと天狗さんの下駄も
いっぱい飾ってありました。次は小田原に戻り登山鉄道に乗りました。
まだ桜が残っていて、登山鉄道の車窓からの山の斜面は見惚れて
写真を撮るのを忘れるくらい綺麗でした。

姉の住む渋谷区の保養所のある箱根の森美術館で下車して
徒歩約5分の宿に着き、一日歩いた体は温泉にどっぷりと浸かり、
枕が変わったにも関わらず熟睡の爆睡です。(笑)

翌朝はいつもの習慣通りに四時半に目が覚め、
まだ寝ている姉を起こさないようにそーっと部屋を出て、
24時間OKの温泉にまたどっぷりと浸かりました。(なんとも贅沢な!!)
二日目はガラスの森美術館に連れて行ってもらいました。

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100年も前の繊細なベネチアンガラスのレース模様などの
手法に関心しきりの姉と私。
中でも風に揺れるゴブレットという作品があり、ガラスだというに
ゆ―らゆら揺れていて、関心を通り越してびっくりでした。
写真禁止の為お見せするのができないのが残念です。

我が家は母が女手一つで4人の子供を育てるお金を稼ぐのに忙しく、
小学生の姉がお洗濯から食事の支度、
買い物など母親代わりになって私、妹、弟の面倒をみてくれました。
私とはたった1つしか歳が違わないのに、まるで違う幼少期の姉なのです。
冬になると霜焼けの指がまるで魚肉ウィンナーのように真っ赤にはれ上がり、
膿んで切れて出血するのです。

通っていた学校には牛舎があり、絞った牛乳を隣接していたM乳業で消毒、
瓶詰された濃い濃い牛乳を購買部で販売していて、
5合瓶を買って帰ってくるのも姉でした。
同級生からつけられたあだ名が「おばさん」。
小学生に「おばさん」とはなんと酷い意地悪な同級生でしょう。
姉はそれでも気に留めないようにしている様子でしたが、
私は腹が立って、母にそのことを伝えました。

母が「なぜ、おばさんなの?」と聞くので
「学校カバンと一緒に買い物籠を下げているから」というと、
母はもう牛乳を買ってこなくてもいいよと姉に言いました。
その姉の目に涙が溢れそうだったことは今でも忘れることができません。
家のことでどんなに辛くても決して弱音を吐くことはなかった姉なのに、
やはり同級生からのイジメはつらかったのだろうと思います。
同時に人を虐めて楽しむような人間には絶対になるまいと思いました。

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写真は生後三か月の私と一歳半の姉です。古い付き合いになりました。(笑)
決して普通とは言えない環境で育った私たちも、
頭に白いものが目立つ歳になりました。
昨年大病をして、仕事の仲間に多大な迷惑をかけて
本当に申し訳ないことをしました。

姉にもどれほど心配をかけたことか。
退院一週間後の抜糸で病院に行ったとき、
姉と病院のレストランでランチの待ち合わせをしていたのですが、
サプライズで、サンフランシスコの妹もレストランで待っていてくれました。

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姉から私が緊急手術をしたと聞いて一睡もできなかったのだそうだ。
私、まだまだ、いろんな人に愛されているのですね(#^.^#)
でも、もう二度と心配はかけさせないよ。
7月生まれの姉のお誕生日に、今度は私が旅行をプレゼントしようと思います。
まだまだ一緒に長生きして、楽しい思い出をいっぱい作りたいです。

4月の旅行を許可してくださいました臼井部長、ありがとうございます。
白柳社長にも多大なご心配をおかけして申し訳ありません。
エイトの皆様も私のために祈ってくださり、本当にありがとうございます。
ご心配、ご迷惑、申し訳ありませんでした。
お陰様で手術も成功し、後遺症もなく、体力も回復して元気になりました。
たくさんの方に支えられて今日があること、決して忘れず毎日を過ごします。

米軍・海外事業部 係長 松山 ユキ

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2016年6月17日 (金)

エイト社員ブログ 「カンボジア その②」

ブログその①の最後の日とは前後しますが、
中学校の視察もさせていただきました。

カンボジアでは外国語の義務教育がフランス語で、外国語の授業は英語が
当たり前の国で育った私には新鮮でした。どの生徒も先生のお話を真剣に聞いて
一生懸命に勉強しています。その眼差しを見て、
カンボジアの将来は明るいなぁと思いました。

そして、次に社長の6番目のお子さん、ダエン君に会いに孤児院に行きました。
私たちが着いた時はまだ学校から戻ってきてなかったのですが、
はにかみながら社長に近いてきてお膝に座りました。

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給食で一番好きなのはカレーライス、好きな科目は算数、
将来の夢はエンジニアになること。

なかなかと頼もしいぞ!  一緒に縄跳びして遊びたかったのですが、
次の予定の時間が押していて残念ながら断念。

次に会える時には一緒に遊ぼうね!

米軍・海外事業部 係長 松山 ユキ

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2015年8月25日 (火)

エイト社員ブログ 「社員研修 カンボジア その1」

先日社員研修旅行でカンボジアに連れて行って頂きました。
出発の空港に集合し、エイト恒例のカウントを待っていた時、
目の前を小走りに通り過ぎる人に思わず目をこすってしまいました。
サンフランシスコの妹なのだ。
(実はこの日の6日前から日本にいたのだが。)
妹の息子が婚約をして、その未来のお嫁さんのご両親にご挨拶のため
来日していたのです。

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そして、その週の日曜日に姉と妹とその甥っ子と
一緒に母のお墓参りに行き、
その後は姉の所で少しだけ一緒にいて、懐かしい話や、子育てや、
2月に生まれた姉の孫とも会ったりしたばかりだった。
でも、妹の来日はハードスケジュール、
午後2時ごろに次の予定に出かけてしまい、
あまり長い時間一緒にいることは叶いませんでした。
なのに、社員旅行に出かけようとする、この同じ時間に
この偶然の出会いはきっと神様から頂いたプレゼント。
イレギュラーな行動をとってしまったにも関わらず、
快くお許し頂きました白柳社長にも感謝申し上げます。
妹とはゆっくりと話す時間もなく、
又いつ会えるのか分かりませんが感動の時間でした。

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さて、カンボジアには直行便がないということで、
タイの空港で乗換えの旅です。
周知のとおりカンボジアには、
ポルポト派により一般市民が迫害を受け
惨殺されたとう悲惨な歴史があります。
その辛い歴史の場所、トゥールスレン刑務所跡地、
そしてキリングフィールドにも行かせていただき、
その場所に立った時、人間が同じ人間に対して
こうも残酷になれるものなのか? 言葉を失いました。
何故人間はこうも悲惨な過ちを繰り返すのか!
政治の正しいあり方は国民の幸せを守ることの筈ではないのか!
今、自分が幸せな世界においてもらっていることに
改めて感謝することができました。

そして、復興のために頑張っているカンボジアを応援する、
渡辺美樹さんや白柳社長、NPOその他あらゆる方々の志にふれ、
尊敬の意を新たにしました。
ガイドさんも素敵でした。
最後の日にもうカンボジアの通貨は使わないので
ホテルにあった募金箱に入れようとした時、箱が4つもあり、
ガイドさんにどの箱に入れたら良いかお聞きしたら、
「この箱にお願いします。病院に行けない子供たちの為の募金箱です。」
と教えていただきました。
後の3つは赤十字などのもっと大きい機関のものでした。
もちろん、どの箱も有意義なことに使って頂けると思いますが、
速攻で答えるトムさんの志も、すっごくかっこよかったです!
~続く~

海外事業部 係長 松山 ユキ

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2015年4月28日 (火)

エイト社員ブログ 「柴舟」

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このお菓子、柴舟といいます。母の田舎、金沢のものです。
先日、姉が金沢に旅行して親戚から私にお土産ということで手元に届きました。
(他に森八の羊羹も。)
なんとも懐かしいお菓子、柴舟
生姜とお砂糖の絶妙なコンビニネーションがたまりません。
美味しいーーのだ!

実を言いますと、私の母・・・その昔
この柴舟の御曹司と縁談があって、それを嫌って単身上京したのです。
そう、横浜に出て来るきっかけとなったのが、実はこの柴舟なのです。
いやいやお菓子そのものではなく
母の強い意志

~顔も知らない人との結婚~
若い母には受け入れられなかったのだろうと思います。
もし母が時代に流されたり、力に屈服したり、
なぁなぁに生きていたらならば、今の私も、姉も妹も弟も
存在すらしないのだ。まったく別の人間がいることになる。
この不思議、このご縁、いったい何なのだろう?
私が私でないとしたら、一体・・・誰なの?

~私は私~
私だけじゃない。
誰もが、自分は自分なのである。

~自分は自分~
だからこそ、『自分を大事に』生きなくてならない。
この世に生を受けて生きている、世界中でたった一人しかいない自分

~自分を大事に生きること~
これこそが生を受けていることのご恩返し、「感謝」である。

しっかし!柴舟。美味しいのだ!母に感謝しつつ柴舟をパリポリとかじっている。
皆様も金沢においでになることがございましたら、是非、ご賞味ください。
そして、森八の羊羹も!!
金沢は蟹だけではないですよ~(笑)

米軍事業部 係長 松山 ユキ

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2015年2月 6日 (金)

エイト社員ブログ「仕事の仲間」

先日自転車のタイヤがパンクしました。
駅前の駐輪場から職場までの往復に使っているのですが、
朝、駐輪場に着いた時は気づかず、そのまま乗って職場まで行く間、
だんだんと後輪がパクパクしてきたのです。

職場に着いて後輪を確認していると、
「どうしたの?」とFさん。
「パンク?」とOaさん。
「パンク位ここで直せるよ。」とOyさん。
「見てあげようか?」とSさん。
「せっかく直しても、原因が分からないと
又空気抜けちゃうね。」とIさん。
心配して仲間が寄ってきてくれるのです。

だんだんと人数も増えて、直してもらえる事になりました。
まずは自転車を逆さまに。
そしてタイヤの周りにある枠を外し外側のゴムタイヤをずらして
内側にあるゴムタイヤを外に引っ張り出しました。
作業は手際よく進みます。
内側のゴムタイヤを順繰りと水につけてパンクの穴を探します。
ありました。小さな穴。
どうやら車軸に突起があり、それで穴が開いたようです。
原因も判明し、突起を叩いて平らにしました。
これはOyさんのお得意の技。

次に内側のタイヤの穴の修理に移ります。 
皆と一緒に直してくれていたSさんが、
「家にタイヤの修理に使うゴムのパッチと専用の接着剤があるから、
明日持ってくるよ。」と言ってくださり、仕上げは繰り越されました。
翌日修理は完了して無事に自転車で駅まで戻ることができました。

仕事の合間の休憩時間に、私のために何人もの方が、
助けてくださいました。本当に嬉しい事です。
皆様ありがとうございます。
このような仲間とご縁を頂きましたこと、感謝、感謝、感謝です。
これからも仕事、頑張りますので、よろしくお願いいたします。

米軍事業部 係長 松山 ユキ

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2014年11月 6日 (木)

エイト社員ブログ「府中ジャズフェスティバル」

20年続いている府中のジャズフェスティバルの時期が近づき
今年も必ず出かけようと思っていました。
去年は友人の雅子さんと一緒に来て、
jajaというフュージョンのバンドにすっかり引き込まれ、
今年もjajaが参加するか一番に参加バンドのリストを確認。
いました、いました。今年は分倍河原のミナノ12:40から。
早速、雅子さんに連絡し、一つ返事で分倍河原での待ち合わせが決まりました。

早めにミナノに着くと、「Eather とワタル」というデュエットの演奏。
張りのある透き通ったソプラノに、
通路を行きかう人たちも足をとめ聞き入ります。

そして、いよいよお目当てのjaja。
最前列に席を確保していざ演奏スタート。 
相変わらずの素晴らしい演奏には、鳥肌ものの感動を覚えます。
実はこの日、夕方からは大國魂神社でのステージもあったのですが、
台風の影響で屋外の演奏はすべてキャンセルになり、
生の演奏を二回聞くことはかないませんでした。
でも、CDを買っちゃいました。(笑)

その後府中に移動し、グリーンホールでビッグバンド、
コパデカフェではフラメンコとフルートとギターの演奏なども聞き、
心の栄養をたっぷりと頂き、大満足の一日でした。

このフェスティバルはすべてカンパで運営されていると聞き、
来年のために私も少しだけ募金してきました。
雅子さん、来年も又付き合ってくださいね。
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米軍事業部 係長 松山 ユキ

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2014年8月10日 (日)

エイト社員ブログ「ファンダイブ」

昨年、エイトの福利厚生の一環として
スクーバダイビングの免許を取得させていただきました。
あれから早一年。
なかなか一人では次のダイビングに出かけることが叶いませんでしたが、
今回、ファンダイブに参加させていただける機会に恵まれました。

昨年は最高齢ということもあり、コーチにはおんぶに抱っこという、
まったくもって贅沢な待遇でありながら劣等生の私でした。
当然のように今年は器具の点検や、潜っている時の注意点などなど、
すべからく忘れています。
まずは、そこからの再スタート。
出かける前日、講習本をお風呂にまで持ち込んで復習です。
BDC、レギュレータ、オクトパス。
そうだわ、BDCの空気を抜いたり入れたりする時確か手はL字に。
でも、抜くのは人差し指だったか?親指だったか?という有様。
一通り復習も終わり宿泊の準備もすませて床に就いたのに、
目覚めたのが3AM。まるで遠足の前の小学生です(笑)

本社サービスセンターの前で待ち合わせの後発組は花村部長の運転で出発です。
無事に大瀬崎に着き早速潜ることになりましたが、やはり、すべて忘れている。
コーチに教えて貰いながら海に入りましたが、
久しぶりなのと、自信がないのとで、怖くなり一回目は浜に戻りました。
(コーチ、本当にごめんなさい)
でも、その次のダイビングは、コーチの丁寧な指導で耳抜きをしながら、
前回より7mも深く潜ることができました。
途中、真蛸に遭遇したり、砂をかぶった蛙アンコウにも会えたり、
目の前を石鯛が通り過ぎたり、海の中は別世界です。
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翌朝はいつも通り4時に目が覚め、
浜の先にある神社まで一人でお散歩に出かけました。
山の向こうから上ってくる朝陽が海に映って、この上もなく美しい!
私だけ一人で得しちゃいました(笑)
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若い頃からずっとダイビングにあこがれていて、エイトで夢が叶いました。
白柳社長、ありがとうございます。
行きも帰りもずっと運転をしてくださいました花村部長、
ありがとうございます。
留守中お仕事を守ってくださいました皆様、ありがとうございます。
エイトの社員で幸せです!

米軍事業部 係長 松山 ユキ

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2014年7月16日 (水)

エイト社員ブログ「励み」

実は昨年の秋から都内の翻訳学校に通っています。
秋から半年間は初級コース、映像翻訳と出版翻訳の両方を
受講していました。

映像翻訳はジュリア・ロバーツのプリティウーマンが課題で
字幕と吹き替え。
出版翻訳は英国のロアルド・ダール作、My Yearが課題でした。

プリティウーマンは誰でもが知るあの映画、あのプリティウーマンです。
それこそもう何回となくテレビで見てストーリは知り尽くしていますが、
いざ、ビビアンやエドワードに喋らせるとなると、
色々と頭の中でぐるぐる回る物があってなかなか筆が進みませんでした。
半年間の前半は字幕、後半は吹き替え。
まだ初級だというのに、終わりから2回目の授業ではプロの声優さんが
来てくださり、私の脚本でアフレコまでしていただきました。
これには大感激。
なんたって、ジュリア・ロバーツが私のつけたセリフを喋るのです。
感激の感激の大感激でした。
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そして、出版初級のクラス、ロアルド・ダールのMy Yearは
訳者によって、これほどまでに解釈が変わり文章が変わるのかと
驚かされました。

二番目の課題はサーカスで暮らす絵を描くゴリラが主人公の
The One and Only Ivan。
すべてゴリラの目線、感じ方で書かれている、
繊細で、優しさにあふれた作品でした。
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いよいよ卒業の日が到来し半年間お世話になったお二人の先生に
どのようにお礼を申し上げようかと考えていたのですが、
学校の方針で贈答品は禁止されていて、準備したプレゼントは
お渡しできませんでした。

だというのに、なんと、サプライズ。
修了書と一緒にプレゼントをいただきました。
全く予想もしてなくて、びっくり!!
またまた、感激の感激の大感激!!!
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元来褒められて育つ気性の私。
当然、中級クラスに進むことにしました。

現在、映像翻訳の中級クラスで頑張っていますが、勉強すればするほど、
どんどんと奥が深くなって、どんどんと難しくなってきます。
それでも、このご褒美を思い出して、
負けずに勉強を続けていこうと思っている昨今です。

中尾先生、三村先生、心から御礼を申し上げます。
ありがとうございます。

米軍事業部 係長 松山 ユキ

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