カテゴリー「05 大隅 晃」の93件の投稿

2016年5月12日 (木)

エイト社員ブログ 「高尾山(八王子市)」

ここ数年、(八王子市)高尾山山頂から
小仏城山(こぼとけしろやま)までの散策によく出かけます。
本当に高尾山は素晴らしいと感じています。

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ミシュランが、高尾山に三つ星を付けた理由は、首都圏から
わずか一時間足らずで行ける場所に、豊かな自然が残されていると
いうものです。たしかに高尾山周辺には約千六百種類の植物が
存在すると言われ、その数は、イギリス全土の植物の数を上回ります。

山を数える単位は、「一山(いちさん)」「一山(ひとやま)」
「一座(ざ)」等と言い、この座(「くら」とも読みます)とは
大きな塊のことで、高尾山は、まさに大きな塊です。「くら」とは、
神様がお住まいになる場所を指します。
散策するたびに大きなパワーをもらえる気がするのも頷けます。

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高尾山の六号路登山口手前に七福神が祭ってあるのを
ご存じの方もおられると思います。

七福神が登山の神様だからなのでしょうか。
大黒天、弁財天、毘沙門天という「天」と名のつく神は
インド代表、寿老人、福禄寿、布袋は中国代表、
恵比須は唯一日本の代表ということになります。

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高尾山に行く時は、いつもこの七福神に、
「今日も、ケガなど無いように宜しくお願い致します。」と
ご挨拶してから登ります。何となく頼もしい感じがするのです。

ところで(けっしておすすめはしませんが)、
山にはトイレが少ない状況があります。
山中で用を足すことを男性は「キジ撃(う)ち」、
女性は「お花摘(つ)み」と言いますが
終わった後は、トイレの仏さまである
鳥枢沙摩明王(うすさまみょうおう)に、ご真言を唱えると、
不浄なものが浄化されます。
ご真言は「オン クロダ ノウ ウンジャク」を
三回唱えるのだそうです。
私は携帯電話のメモ機能に、この言葉を登録してあり
ごくたまにですが、お世話なっています。

鮫島純子(さめじま すみこ:祖父は渋沢栄一)さんの著書
「なにがあっても、ありがとう」の中に次のような一節があります。
鮫島さんの家のトイレには「ありがとうございます」という
ステッカーが貼ってあるのでそうです。
その理由は、次のようなものです。

『体の働きは、まさに人智の及ばない、神の手によって
設計されたものとしか思えない精巧なしくみによって保たれています。
排泄のしくみも然りです。体に必要な栄養分が血液を介して各組織に
いきわたり、余分な水分は腎臓にたまって尿管から
排泄されるらしいですが、なんと、塩分や糖分、水分が
腎臓で濾過された後、もう一度、体に必要な成分を再吸収するために、
尿細管でさらに濾過されるのだそうです。
一切を無駄にしないリサイクルのしくみです。

そう知るとただただ感謝するしかありません。
排泄ということだけを考えても、私たちは神の無償の愛を受けて
生かされていることを思い知らされ、感謝の念がこみ上げてきます。
「自分の体は自分が勝手に使っていい」という考えは大きな誤解だった、
今は心の底からそう思えます。そんな自戒の心を込めた、
トイレの「ありがとうございます」なのです。』

私には、トイレにステッカーを貼る確信がありません。
しかし年齢を重ねる毎に
「ありがとうございます」を呟(つぶや)く回数が増えてきました。
そのほうが何となく気が楽になるものですから。

それにしても、何回見ても、七福神の一人ひとりの
お顔のすばらしいこと、
高尾山へ行く理由の一つはまさにこれにありです。

参与 大隅 晃

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2016年1月15日 (金)

エイト社員ブログ 「一月三日」

沢村貞子さん(1908~1996:女優)が、エッセイ『わたしの三面鏡』の中で

「今日ただいま、どうしてもしなければならない
ことだけをしよう・・・・・・そう決めた。
一、毎日、充分に眠ること
一、いつも美味(おい)しい食事をすること
一、新聞や本をせいぜい読むこと

せめてこのぐらいのことをしなければ、生きている甲斐がない。」
と述べています。
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この三つについては、次のようなコメント(一部を抜粋)が付いています。

「眠る」ことについては、
前日の疲れをよくとらないと、私の頭や身体は人並みには動かない。

「食事」については、
うまいと思うものでおなかがいっぱいになれば
しあわせな気分になり他人にも
やさしくなる。

「新聞や本」については、
人間は齢をとると、とかく頑固になり易い。
つとめて世の中の移り変わりを見、
利口な人の説に耳を傾けて、頭をしなやかにするよう心がけないと、
知らず知らず、老害をまき散らす。

さて今日は、正月三日の日曜日。
午後、昨年同様に昭和記念公園(立川市)に凧揚げを見に出かけました。

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凧が、空に向かって舞い上がる様は何とも言えず気持ちの良いものです。
凧の先端を目で追いながら、「さて今年は何を誓いとしようかなあ。」と思い、
ふと、先程の三つを思い浮かべたわけです。
『手抜き過ぎる』という声が、聞えてきそうですが。

参与 大隅 晃

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2015年10月29日 (木)

エイト社員ブログ 「哀悼の意 中山恵美子様」

当社の社員、中山恵美子さんが亡くなられた。
享年58(歳)でした。
闘病生活は、いかに苦しかったかと思う。
無念であり、本当に残念です。

携帯電話のLINEを使い、高尾山で写した草花の写真を
中山さんに送ったのが亡くなられる2週間前でした。
花の名前が分からなくてすみませんと書いて送ったら、
『私も半分くらいしか分かりません、調べてみますね。』と
返事をもらったのが最後の会話でした。

実をいうと、この短い文章に誤記がありました。
こんなことを中山さんはなさらない人でした。
おそらく、中山さんは病床で力を振り絞って、
返事を書いてくれたのではないかと思う。
返事を見た時、思わず涙ぐんでしまいました。

作家:藤沢周平が、『いよいよ死ぬるそのときまで、
人間は与えられた生命をいとおしみ、
力を尽くして生き抜かねばならぬ。』と言っていますが、
まさにそれを実践してみせてくれました。

また、「神様にほめられる生き方」(著者:岡本彰夫)に、
『死ぬまで必要とされる人生を歩む。』という言葉があるが、
まさしく中山さんに当てはまります。

明るく、気遣いができ、前向きだった中山さん。
秋桜(コスモス)の花が溢れ満ち、かすかな風とともに揺れて、
「がんばったよ」という声が聞こえてきそうです。
木の葉が枝から落ちるように悲しみとともに、

或る感動を与える死でした。

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『今、生きていることに感謝すればいいんだっていうね。
生きていることがすべてです。
いずれみんな死ぬけど。
生きている間にいかに生きるかだけ考えればいい。と、
そうするとマヌケなことしているヒマは、ないでしょ。』と
言っているのは、ビートたけしさんです。
「よく生きねばならない」とあらためて思います。

天国の中山さんへ、「本当にありがとうございました。」

参与 大隅 晃

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2015年10月 8日 (木)

エイト社員ブログ 「ギャラリースペース」

今、昭和記念公園(立川市)内のコスモス畑に来ています。
一日の計画を立て、時間がゆっくり流れていると
感じられる中で生きられていることに感謝しています。
ぼんやりですが、心の中のスペースについて
書いてみようと思います。

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『仕事とは、自分がこの地球上で占める
スペースの賃貸料である』という
イギリスの言葉は、おもわずニヤリとさせられます。
スペースの大きさをどうするかで
その賃貸料も変わってきそうですが、
それはそれとして、賃貸料ならば毎月支払っていく義務が
発生するのも当然ということになります。

「限りなく透明に凛として生きる」
(著者:佐藤初女)の中に、次のような言葉が載っています。

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“ 昔から変わらないのは、
『今日と明日が同じ一日であってはいけない』
という気持ちです。
必ず何か違うことがあるので、
それに気づいて速やかに実践に移していきたい。 
大事なのは、そのときに起こる出来事をどうやって
受け入れられるかだと思っています。 ”

佐藤初女(さとう はつめ)さんは、
日本のマザー・テレサと言われている人です。
いい言葉だと思いますが、
厳しい言葉でもあります。
毎日の生活が、波瀾万丈だという人は
少ないと思いますし、
逆に、日々の暮らしの中には保守性が
あるとも感じています。
私のことで言えば、
家にはいつも使っている机や椅子があり、
その横には散歩のとき持ち歩いているバッグが置いてある、
といった具合です。
それでも時々、自分の生活習慣の中になかったものに
驚いたり、違和感を覚えたりしますが、
それらが逆に、毎日の生活に落ち着きを作っている気もします。

(東京都)立川駅前にデパートがあります。
私は、デパートで買物はしないので、
何の用事もないのですが、
クーラーが利いているので、素通りをし
後ろの本屋さんへ行く通り道として
利用させてもらっています。
デパートにしてみればいい迷惑だろうと思うのですが。
そのデパートの玄関を入ってすぐの所に
特設売り場(60㎡位?)があり、
毎週テーマを決め出店がされています。
このデパートではギャラリースペースと呼んでおり、
最近では、アクセサリー類、ワイン、婦人服、和菓子、
バッグ類の順で出店されていました。

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デパートを利用する人にとって、
ギャラリースペースという特設売り場は、
日常の光景なのであり、それがないと反対に
落ち着かないのかもしれません。
保守性とは、不変ということでもなさそうで、
継続的な小さな変化、あるいは部分的な変化と
いうものも含まれるのかもしれません。

“Nobody is perfect!”(完璧な人はいない)という言葉は、
映画「お熱いのがお好き」の中での
マリリンモンローのセリフですが、
いつも変わらない毎日の生活に、
ちょっとした変化を付け加え続けていく気構えが
意外と大切であり、心のどこかにそういう
余裕スペースを持つ必要性があると、最近感じています。
大切なものの本質は案外小さいものかもしれません。

参与  大隅 晃

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2015年8月13日 (木)

エイト社員ブログ 「東京都美術館『モネ展』」

今年の秋、東京都美術館(上野公園)で、
『モネ展』が開催されます(9/19~12/13)。
私にとって、絵画に興味を持ち始めた大好きな画家であり、
とても楽しみにしています。
www.tobikan.jp/exhibition/h27_monet.html

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16歳にしてすでに、クロード・モネ(1840~1926年)は、
フランス港町ル・アーブルでその名を知られていました。
以前から教師を風刺した戯画(ぎが)を描いては
友だちに配っていたモネですが、
やがて欲しがる人にはさまざまな戯画を売るようになります。
人気はしだいに高まり、1枚20フラン(約8000円)で
売れるまでになっていきます。
「あのまま続けていたら、大金持ちになっていただろうね」と
晩年のモネは語っています。

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(モネ16歳の頃の戯画:ル・アーヴルの役人?)

今回の展覧会には、
印象派の名前の由来となった絵画
「印象、日の出」や「サン・ラザール駅」「睡蓮」
「バラの小道、ジヴェルニー」等々、
約90点に及ぶ作品がマルモッタン・モネ美術館(パリ)から
来日します。
モネ24歳の頃には、バジール、ルノワール、シスレーといった
画家仲間がいましたが
ネにとって最初の教師は、ブーダンでしょう。

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(ブーダン:ベニス、サン・ジョルジョから見た
サンタ・マリア・デラ・サルーテ教会)

モネ自身の次の言葉にも、その影響が見てとれます。
「じかにその場で描いたものは、
あとでアトリエで描いたものよりも、必ず力強く、
生き生きとしているものだ」

モネが絵を描く際にいちばん気を使ったのは、
モチーフと効果です。
道、土手、橋、木立ち、麦藁(むぎわら)など、
慎重にモチーフを選び、
必ずそれを見たとおりに描いています。
光の反射やシルエット効果
(雨、雲、雪、太陽、朝霧、夕暮れなど)が続いている
あいだだけ、一つの絵に向かって描いています。

毎日同じ場所に通っては、
ある特定の効果(例えば、夕暮れ)が現れるのを待って
描き続け、完成させます。
つまり、光と自然とをある瞬間に見えたとおりに
描き出すこと。モネは生涯を通じて、
この一つの目標に向かって描き続けています。
正式な学校にはほとんど通わず、どん底の生活をこらえ、
家族に見放されても我慢し、
無理解な大衆の侮辱(ぶじょく)やあざけりに
耐えづつけながら、最後には、
私たちのものの見方を永遠に変えてしまったのです。

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            (印象、日の出) 

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   (ヨーロッパ橋、サン=ラザール駅)

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        (白と黄色の睡蓮)  

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ジヴェルニーのモネの屋敷内を
散策するモネとクレマンソー(左端:フランス首相)
二人は親交があった。

モネは86歳で亡くなる最後の約10年間、
白内障で目がよく見えず、
色の知覚がおかしくなりながらも、睡蓮(すいれん)の
絵に取り組みつづけます。
モネの死後、
オランジュリー美術館に睡蓮(すいれん)の
装飾画が飾られました。
それはモネからフランスへの、そして世界への贈り物でした。

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(睡蓮の連作を作成するために
建てたアトリエでポーズをとるモネ)

「盲目のまま生まれてきて、
ある日突然目が見えるようになるとよかった。
そうすると、目の前のものが何なのかを
知らないで描くことができただろうからだ。」
モネのこの言葉ほど、この画家をよく語っている
言葉はありません。
モネが見た世界とはどんなものだったのかを
この展覧会で感じられたらと思っています。

参与 大隅 晃 

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2015年7月18日 (土)

エイト社員ブログ 「やわらかい頭とは何か」

最初から、こんな話で恐縮ですが。
あるパーティーで、亡くなった立川談志さん
(たてかわ だんし:落語家 1936~2011)が、
こんな小噺(こばなし)をしています。

「あるアフリカの草原での話。
全裸の男たちを何頭かの象が見ていた。
そしてある象が男たちの股間を見ながらいった。
『あんなんで、よく水が飲めるな』・・・・」

パーティーの出席者は大笑いしたという。

また、こんな話もあります。テレビの討論番組で出た問題です。
「世界の火事の“被害額”の問題です。火事の原因でいちばん多いのは?」

出席者が「タバコかな?」「放火かな?」
「ガスの不始末かな?」「山火事かな?」と考えているなかで、
「うん、それは戦争でしょう」と間髪を容れずにこう答えた人がいた。
伊丹十三さん(いたみ じゅうぞう:映画監督 1933~1997)です。

「こういう思考回路を持つ人を頭のやわらかい人というのだろう」と
川北義則さん(評論家:1935~)は、
著書「大人の流儀」の中で書いておられる。

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年齢を重ねると、頑固になるせいか、
どうしても物事を断定的に捉えがちになります。
注意しなければなと感じています。

「死後の世界を信じますか?」と聞かれて、
立川談志さんは、
「いゃあ 分からねぇけど、
一人もけぇってきた奴がいないから、よほどいいところなんだろう」
と言っています。

常識にとらわれることのない考え方をするには、
頭のやわらかさをいつも意識することが大切ではないかと、
最近は特に思います。
何事も一面からだけではなく、上から 下から 右から 左から
斜めから 後ろから見る視線をつねに持ち続けることが
大切なのでしょうが、これは結構難しいことです。

さて、真面目な話?をしてしまったので、
最後に、好きな詩を一つあげて終わります。
今日も一日、お疲れ様でした。

「こもりうた」  
川崎 洋(かわさき ひろし)(絵:いわさき ちひろ)

あかんぼは
うすめをあけて
うわめづかいなど
するもんじゃない
ねむりなさい
ここはおやじとおふくろに
いっさいまかせて
わるいやつがきたら
とうさんとかあさんが
ちゃんとしまつをつけてやるから
ねむりなさい
すこしぐらいいびきかいたって
やっときこえるくらいの
いびきなんだから
えんりょするこたない
ねむりなさい
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参与 大隅 晃

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2015年5月27日 (水)

エイト社員ブログ 「ウグイスの啼き声」

高尾山(八王子市)から小仏城山(こぼとけしろやま:相模原市)までの
山道をのんびりトレッキングするのが大好きです。
目線の先に映るのは森の緑だけ。
初夏のあざやかな緑の波が、奥高尾に向かっているのを見ていると、
何とも心地よいものです。
ここでは、日本三鳴鳥(さんめいちょう:ウグイス、オオルリ、コマドリ)の
一つであるウグイスが「ホーホケキョ」と啼(な)いているのに、よく出会います。

日高敏隆著「生きものたちに魅せられて」の中に、次の一節があります。

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ウグイスが「ホーホケキョ」と啼きます。
本能だから大人になれば自然に唄えるのかというと・・・
そうではない。
ヒナが孵(かえ)ったばかりで、まだ耳ができていない状態で、
スピーカーから親鳥の囀り(さえずり)を聴かせてやる。
ヒナはそれを聴いて覚えて、学習していくのです。
その時はまだ喉(のど)ができていませんから、
聴きながら唄ってみるということはありません。
じいっと聴いて記憶するだけです。
何か月かして喉(のど)ができてくると唄ってみて、
自分の聞き覚えたものとモニターしていき
そして最後に唄えるようになる。
あまりに遅くに親鳥の声を聴かせても駄目です。
つまり時期があるということです。

そしてさらに、ある人がこういうことをやったのです。
ウグイスにカラスの声を聴かせてみたらどうなるだろうか。
生まれて耳ができてきて、音が聴こえるようになった小さなヒナに、
「カァカァ」というカラスの声を聴かせる。

カァカァと啼くウグイスができるかというとそうはならない。
いくら「カァカァ」聴かせても、ヒナの方は知らん顔をしている。
それで試(ため)しに、ほんとうのウグイスの声に
テープを切り替えてやったら、途端にそれを聴くわけです。

ヒナはウグイスの声がどんなものかは知らないわけです。
初めは耳が聴こえなかったのだから聴いていない。
聴こえるようになって初めて聴いたのがもしカラスだったら、
それに関心をもたない。しかし、ウグイスの声が聴こえたら、
ぱっと関心をもって聴くということは、これは学習のお手本だということが
すでに分かっているということではないだろうか。
つまり、学習は、遺伝的なプログラムの中に乗っかっているものなのです。

囀り(さえずり)を学習しなさいという、これは遺伝的なプログラムです。
そしてその時期は、卵から孵(かえ)ったのち、
数日後から一か月ぐらいのあいだに学習しなさい
その学習をするときには親の声を聴いてしなさい
お手本とすべきはこういう声ですということまで、
遺伝的にちゃんと指示が入っていて、ヒナはそれに従って学習していくらしい。 

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人間の学習が、仮にウグイス同様に遺伝的なプログラムに
乗っかっているとすると、少しばかり怖い気がします。

しかし、池田潔著「自由と規律」の中には、次の言葉が出てきます。

『かく厳格なる教育が、それによって期するところは何であるか。
それは正邪(せいじゃ)の観念を明らかにし、
正を正とし邪(じゃ)を邪としてはばからぬ道徳的勇気を養い、
各人がかかる勇気を持つところにそこに始めて真の自由の保障がある
所以(ゆえん)を教えることにあると思う』

60年程前の言葉ですが、その重さは今日も変わりません。
遺伝的なプログラムがどうであろうと、
「正を正とし邪(じゃ)を邪としてはばからぬ道徳的勇気」を
持ち続けたいものです。そうでないと、ウグイスに負けてしまいます。

ところで、「芸術と自然はひそかに協力して人間を健全にする」そうですから、
このトレッキングだけは、できるだけ続けようと思っています。

参与 大隅 晃

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2015年2月25日 (水)

エイト社員ブログ「おてんと様のお使い」

詩人:金子みすゞ(1903~1930年)に「日の光」という詩(うた)があります。
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おてんと様のお使いが
揃って空をたちました。

みちで出逢ったみなみ風、
(何しに、どこへ。)とききました。

一人は答えていいました。
(この「明るさ」を地に撒くの、
みんながお仕事できるよう。)

一人はさもさも嬉しそう。
(私はお花を咲かせるの、
世界をたのしくするために。)

一人はやさしく、おとなしく、
(私は清いたましいの、
のぼる反り橋かけるのよ。)

残った一人はさみしそう。
(私は「影」をつくるため、
やっぱりいっしょにまいります。)

今日、平和な世界、幸せな暮らしを願ってやみません。
でも、明るい光があれば、必ず影があります。
私たちは、それから眼をそらそうとしている気がします。
皆が、もう少しだけ優しくなれないものかと思います。
吉武輝子さんの著書「病んでも老いても人生は華」の中に
『人の性は善であるという性善説を心底信じなければ、
年齢や立場の違いを乗り越えて、
ちょっとはいい世の中にして後輩に引き渡していきましょうよと
多くの人たちと手を携えて行動しつづけることはとっても難しい。』
という言葉があります。
「イスラム国」の問題などを思うとき、本当にその通りだと痛感しています。

さて、少し話題を変えて。
2月、昭和記念公園(東京都立川市)では梅が満開でした。
毎年、目を楽しませてくれます。

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左:ソシンロウバイ
右:錦光(きんこう)

梅を見た後日、高尾山(東京都八王子市)の山頂まで登ってきました。
何と言っても、カシ(常緑樹)、コナラ、ブナ(落葉樹)、スギ(針葉樹)
といった大木に魅力を感じます。「また来たよ」と声を掛けたくなるのです。

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木の大きさが伝わりますか。写真(左)に小さく人の歩く姿が見えます。

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廣瀬裕子著『こころに水をやり育てるための50のレッスン』に
次の一文があります。

Lesson9 木にさわる
木は、目に見えないエネルギーをもっている。
それも、とても、気持ちいいエネルギーを。
「この木、なんだかいいなあ」
そんなふうに感じる木があったら、
それは、その木と相性がいいということ。
つかれたときや、元気のないときは、
その木に、たすけてもらうことができる。
まず、エネルギーをもらいたいってことを
木に伝えてから、
両手をひろげて、そっと、木をだきしめてみる。
木は、ごつごつしているけど、やわらかいから不思議。
そして「いいかな」とおもうまでだきしめたら、
「ありがとう」って、木にお礼を言っておわり。
これだけで、エネルギーをわけてもらえるんだから、
木は、なんて、やさしいんだろう。
でも、そんなふうにしなくても、
木のそばにいるだけでも、ほんとうは充分、
満ちたりた気持ちになれる。

実は、松原惇子著「ありのままの自分が好きになる28章」にも
『あなただけの木をみつけよう』という言葉が使われています。

高尾山の登山道で仰ぎ見る樹木から、エネルギーを沢山もらいます。
おだやかな気持ちでいられる時間が持てることに 心から感謝しています。

参与 大隅 晃

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2014年12月17日 (水)

エイト社員ブログ「水上勉『働くことと生きること』」

昭和記念公園(立川市)の晩秋の景色は毎年のことですが、本当に素敵です。
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さて、今年は、
作家・水上 勉(みなかみ つとむ:1919~2004年)が亡くなって10年となり、
(東京都)世田谷文学館で記念展が、開催されていました。
散歩ついでに寄り道です。
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代表作には、雁(がん)の寺、飢餓海峡、五番町夕霧楼、
越後つついし親不知(おやしらず)、はなれ瞽女(ごぜ)おりん、
金閣炎上、良寛、一休、越前竹人形 等々があります。

水上 勉は、小学生で寺院の僧侶となるべく修業に入り、
その後、自動車組合の集金人、薬の行商、役所勤め、労働者の監督、
出版・編集業、モデル、代用教員、洋服の訪問販売等々の職業に就いています。
豊かな人生経験そのものが水上文学に結晶しています。
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著書「働くことと生きること」では、火葬場の仕事が取り上げられています。
そこで働く70代半ばの老人が、遺体を焼いた後の竈(かまど)掃除で、
内壁にへばりついた人の脂をけずり、残った遺灰とともに
コスモス畑にまきにいきます。そして老人は次のように語ります。
「わしがコスモスの花に変身する人間をいとおいしいと思いますのは、
生きとる人間が、はなはだ、差別ずきで、作業場(ヤキバのこと)の
竈(かまど)も、特、並、と階級をつけております、
うしろへゆけば、かわりもない機関車のケツみたいな焚き口(たきぐち)が
三つならんでおるだけなのに、(中略)おかしいような…おろかしいような…
そうして生きておった人も、焼かれると平等にコスモスになるからです」

多くの人が嫌がるであろうこの仕事に愛(いと)おしさを見出した老人に、
水上さんは「天職とは何か」を学び、この老人こそが生仏(いきぼとけ)であると
確信します。

水上 勉さんの言葉を、著書からいくつかご紹介します。

『職業というものは、それにたずさわる側の人の心で、
ずいぶんちがうものであり、
いいかえれば、天職にもなるし、ならぬこともある』

『自分が何に向いているか。何を職業としたら、貧乏ぐらしでも満足か、
 ぐらいの、境界だけはもってほしいと思う。金はかからぬ。心のことだから。』

『なんといっても世の中のことは いのちがあっての話ですから、ここは忍耐だ。』

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(「越前竹人形」の撮影現場、左端:水上勉、右端:若尾文子さん)

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(水上 勉と長女・蕗子(ふきこ)さん)

長女の水上蕗子(ふきこ)さんは、
父(水上 勉)は、「仕事が人を磨いてくれる」「仕事が教えてくれる」
ということをずっと言い続けていましたと述べておられます。

「働き方」と「生き方」にかかわる問題は、
いつの世代にも共通する悩みの一つかもしれません。
水上 勉の講演会での肉声を、
世田谷文学館内に展示されているテープで聴いていると、
『忍耐だ』と言われているような気がしましたが、
それでも何となく元気になっていました。

作家:五木寛之さんは、著書「生きるヒント3」の中で、
『人生を癒す効果的な方法は、楽しみの達人の発散する気を
シャワーのように浴びることだ。…
人間は結局、人間によって癒されるしかないのではないか。…』
と言っています。

癒されるのは、私は自然派ですが、
皆さんは、自然派ですか、それとも人間派ですか。

皆さんの周りに、「楽しみの気」を発散させている達人がおられるとしたら
とても幸せなことだと思います。
犬や猫も自然も癒されるのは間違いないでしょうが、
「楽しみの気」となると人間には敵わないかもしれません。

参与 大隅 晃

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2014年11月15日 (土)

エイト社員ブログ「幸せは、なるものではなく、感じるもの」

お寺や神社への参拝で、
お賽銭(さいせん)を投げ入れることを喜捨(きしゃ)すると言い、
「喜捨」とは、元来お賽銭を投げることを意味しているのではなく、
「心に抱えている執着心やこだわりを捨てること」を意味しているのだと
言われています。

先日、京都を訪れ、八坂神社、相国寺(しょうこくじ)、広隆寺(こうりゅうじ)、
天龍寺等々を巡ってお賽銭を投げ入れる際に、
一つ、二つは執着心やこだわりで捨てたいものを唱えたのですが、
それ以上は幸か不幸か出てきませんでした。
従って、三カ所目からは黙ってお賽銭を投げ入れました。 
しかし考えてみると、そのこと自身も、こだわりではないかと、
自分で自分に突っ込みを入れて思わず苦笑いしてしまいました。
多くの方々は、
お賽銭を投げ入れる時には、「願い事をする」ように思っていますが。

皆さんはいかがでしょうか。

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左:相国寺 蟠龍図
右:天龍寺 雲竜図

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「幸せは、なるものではなく、感じるもの」
(枡野俊明(ますのしゅんみょう)著、2014年10月発行)の中に
素敵な話が載っていたので、ご紹介します。一人のお婆さんの話です。

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(枡野俊明:曹洞宗徳雄山建功寺住職)

『お婆さんが肌身離さず大切にもっているものがあります。
何十年も大切にしてきたものがあります。
それは、わが子が小学生のときにくれた、数枚の「肩たたき券」です。

夫を早くに亡くしたその女性は、女手一つで息子を育てました。
働けど働けど、暮らしは楽になりません。
二人で食べていくのがやっとの生活です。
まして息子に小遣(こづか)いをあげる余裕などありませんでした。
そんな日々の中で迎えた「母の日」のこと。
息子の友だちは、母の日に何をプレゼントするかで盛り上がっていた。
「僕はケーキを買ってあげる」「私は花束を贈るの」と。
しかし、彼には一銭の小遣いもありません。
そこで息子は母のために「肩たたき券」を作りました。
「これ一枚で、20分間肩もみをしてあげるね」と。

仕事から帰ってきた母は、毎日、一枚の「肩たたき券」を息子に渡します。
息子は小さな手で、一生懸命に母の肩をもみます。
息子の手のぬくもりを感じながら、彼女は心からの幸せを感じたといいます。

やがて息子は立派な大人になり、大手メーカーの部長にまでなりました。 
毎年「母の日」に実家を訪れ、
高級な装飾品や洋服などをプレゼントするそうです。
母親にとってはこれほど嬉しいことはないでしょう。
しかし、そんな高級なプレゼントよりも、彼女にとっての最高のプレゼントは、
小学生のときにもらった「肩たたき券」でした。

あるとき、息子さんがその「肩たたき券」を目にしました。
「こんなもの、まだもっていたの?」と言うと、母は答えました。
「だって、私の一生で一番嬉しかった贈り物だもの」と。
母の答えを聞いて、息子は微笑(ほほえ)んで頷(うなず)いた。
・・・・
幸せというものは、みんなの傍(そば)に寄り添っている。
少し探す努力をするだけで。それは必ず見つかるものです。
もしも「自分は不幸だ」とばかり嘆いている人がいるとすれば、
それは幸せを見つけることをしていないだけです。
もっと言えば、不幸の種ばかりを集めている。
まるで不幸を探すのが趣味であるかのように。
まわりに落ちている、たくさんの幸せをかき集めて、それを心に感じてください。
小さな幸せをたくさん感じながら生きてください。
その積み重ねこそが、幸福な人生の道筋になっていくのです。』

幸せは、なるものではなく、感じるもの  いい言葉だと思います。
枡野さんは、本書の最後に次のような言葉を書いています。

『仏になるまでの時間を私たちは与えられている。
その大事な時間を無駄にしてはいけない。
降りかかってくるものすべてに立ち向かい、
引き受けていかなくてはいけない。
その強さを、人間はもともと与えられているのです。』

私にとって、本を読む時間が以前より少し増えました。
幸せなことだと思っています。

参与  大隅 晃

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