2012年1月30日 (月)

知覧研修その後

知覧研修から帰ってきた日にブログを書いた。
それから1ヶ月たって色々な場面で知覧での事が蘇る。
その中で2日目初代さんが自分たちに問いかけた
自分の存在価値は何ですか?あなたのお仕事は何ですか?
命に代えても守りたいのは誰ですか?家族にとってあなたは何ですか?
自分に与えられた分担は何ですか?などの言葉が胸に残っている。
自分の存在価値は誰かが自分に対してつけるものだと思っていて
自分で存在価値を見出すのはとても難しいと思いました。

謙遜して書かない訳でも無いですし、ましてや自分に自信が無いわけでも
ないのですが、自分の存在価値は?と問いかけると今の自分の答えは
こうなってしまいます。

あなたのお仕事は?
自分の仕事は家族に幸せを感じてもらうこと。
プールで関わった人、自分を信頼してついて来てくれている人に
何か1つでも残したい。という漠然なものしかありません。

命に代えても守りたいのは・・・難しいです。
自分が任されたプール管理で事故が起これば命に代えても
守らなければならいのですが
それはプールで働いてくれている皆の心にキズを残したくないのと、
目の前の命を救うこの2点です。そうなるのが1番辛いことなので、
日頃から事故が起こらないように
未然に防ぐのが監視員の仕事だと厳しく指導しています。

年数をこなせば理解できるのですが、1年目の子達は監視員=命を助ける仕事。と
誤解しています。監視員は命を守る仕事なのをわかってもらうのが、
安全な管理の第一歩だと考えます。話がズレてしまいましたが。

家族にとってあなたは何ですか?
これも家族が自分に望むもので、自分自信が家族にとって
自分はこうありたい!という
願望はありますが、今は明確な答えが出せません。

自分に与えられた分担・・・
これは会社での自分の分担や、友達同士での分担、家族の中での分担など
色々ありますが、自分が何のために生まれて・・・などと考えると
どう生きたいかにぶつかります。
自分はまだまだ若造ですが、やはりプールの皆の夢が叶うために
自分の出来ることはしたい。家族の願いを叶える為に頑張りたい。

そして最後に自分の夢というか、やりたいことをやってみたい。
自分のやりたいこと、やってみたいことは最後なので、
年齢やその時の自分の置かれている状況で変化するのでしょうが
プールの皆の夢が叶う手伝いをすること、
家族の願いを叶える努力をするのが
今の自分に与えられたことなのかなぁ・・なんて思います。

仕事は当たり前のようにしていくし、
しなければ上に書いた事が出来ないので
仕事の上で自分の分担。求められている事には敏感になって
取り組んで行かなければいけないのが第一ですが。

自分は知覧に行ったことにより、女将さんに投げかけて頂いた言葉により
帰ってきてから自分を振り返る言葉を頂いた気がします。
何か自分が迷ったり、心がブレそうになった時は
女将さんが投げかけてくれた言葉を思い出し考えるようにしています。
ゴールさえ見失わなければ良いと考えてます。

ゴールまで選ぶ道は多少変化していくとは思っているので。
山を登るのに道が1本ってことはないですからね。またその道を登っていて
コースを変更しなければならない事だってあると思います。
休憩もするし立ち止まる時もあると思いますが、ただ頂上を目指して、
ブレなければいいのだと思います。

一番いけないのは頂上を目指して登っているのに、途中で
ここでいいか!ここまで良くやった!などの考えがいけないんですよね。
一番自分を誉められるのは自分だと思っていますが、
自分を甘やかすのと紙一重で
それにもっと若い時に気付ければと思いました。

ただ今の時点で気付けたのをポジティブに考えるとともに
きっかけをくれた知覧。そこに連れて行って下さった社長。
ふとした時にハッとするアドバイスや助言をしていただける専務。
こんな自分を諦めず暖かい指導をして頂ける常務。
その人達を主として、その人達についていっている社員が沢山いる
エイトに感謝です。

建物総合事業本部 課長 町田 龍太

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2012年1月29日 (日)

戦後の民主教育・想い合う心・命の移し替え

「気付く」をテーマに行った知覧研修、何を学び何に気付いたかを
改めて自問自答してみました。

日本国は大東亜戦争(あえて太平洋戦争とは言わず)に敗れ、
国土は廃墟・焦土と化した。多くの国民は打ちのめされ無一文となりました。

しかし戦後30年足らずで奇跡的とも言われる程の復興を成し遂げ、
高度成長期(s30~s48)後期には一億総中流階級意識を持てる様に成った。
しかし何不自由なく育ち、食べる物、着る物、住む家、と
大抵の物は自由に得られる良き平和な時代が来たと思っていました。

しかしバブル経済崩壊後は強い絆で結ばれていると思っていた
人間関係は希薄になり、何の目的も持たない無差別殺人や
親殺し・子供殺しのニュースが後を絶たず。他に眼を向ければ
製造業者の海外移転・路上生活者・ワーキングプア・新卒者の就職難・失業者の増加、
はたまた格差社会だの高齢化社会、国や地方自冶体の財政難等々と
「希望」と言う字が何処かに吹き飛んでしまった様な無力感が漂う昨今、
一体この国は如何なるのだろうと人々は不安におののいている様に思えます。
この時期に行われた今回の研修はタイムリーであり、有意義でありました。

 「山近社長の講演、」「俳優 たぬきさんの一人芝居」
「映画・俺は君のためにこそ死ににいく」
「富屋旅館三代目女将鳥濱初枝さんの講話、語りかけ」
「知覧特攻平和会館・ホタル館・その他の諸施設、
及び飛行場等の数々の遺跡の見学」を通じて学び得た事は
一地方の歴史や史跡の問題ではなく大げさに言えば日本と言う
国家の有りようの根源に関わる大切な事。

ありていに言えば人間として如何にあるべきかを示唆して
呉れている様に思えたのであります。
その中で最も心に刻まれた事が3つ有りました。

 1つは、山近社長が此の度の戦争(大東亜戦争)について、
時代背景と共に述べられていた中で

○従来から定められていた戦争のやり方と大きく違った事は
戦闘員以外の民間人や捕虜となった敵国兵士など多くの非武装の人々に対して
殺傷や虐待がおこなわれたことである。

東京裁判で、戦勝国が敗戦国を裁くのはリンチに等しく、
戦国国際法上日本を裁く根拠は何ら無いと主張し、日本無罪論を述べ
一人反対したパール判事(インド)と言う人がいた事実。

○戦後、民主教育と言って国連軍最高司令官ダグラス・マッカーサー米国軍元帥の
指示で従来の教科書(国民学校)の中で教えてはならない処が墨塗りと言って
墨で塗り末梢された。その後遺症として
「二宮金次郎・聖徳太子・東郷平八郎・伊東博文等」がいまだに
歴史教科書から抹殺されている。と言う事。

Suganuma_c1

以上2つの事柄には驚きました。
やはり、従来日本人が大切にしていた何かが欠落した戦後の教育問題については
一度見直す時期に来ていると感じました。

 2つ目は、特攻隊員と彼等におかあさんと慕われた
鳥濱トメさんとの心の交流です。
3代目女将が語るトメさんの特攻隊員やその家族・遺族等への想いや
行動を知り人間に備えられた素晴らしさに涙しました。
石原慎太郎をして、真に「菩薩様」と称えたその行動には
全く頭が下がりました。戦後「進駐軍のお世話」をと頼まれた際、
熟慮の結果お受けした話しなどブレないトメさんの真骨頂を垣間見る思いでした。

Suganuma_c2

この仏の様な行為を可能にしている原動力は何かと考えて居ると
3代目の語りの中に「人を想いやる心」ではなく「人と想い合う心」が
大切だと説いていた。前者は上からの目線に成る、
後者は対等であると解説して居たのが心に沁み
「常に相手の立場で物事を考えなさい!」と
トメさんに叱られたような気持に成りました。

 3つ目は特攻隊員の事であります。
幼い頃から抱いていた特攻隊のイメージは、少年雑誌の表紙になったり、
軍歌として唄われていた「加藤隼戦闘隊」「さらばラバウル航空隊」
「神風特攻隊」等のイメージから白いマフラー靡かせて
勇猛果敢に敵艦隊目がけて驀地、莞爾と笑って突入し撃沈させる
(空中戦なら撃墜だ)真に格好良いヒーローであった。

Suganuma_c3

しかし一連の研修や平和記念館に於ける遺書や辞世の句を読みこの考えは全くの幻想であり、彼等に対して真に無礼であったと反省しています。

 真珠湾で火ぶたを切った戦いも最初は快進撃で東南アジア全域を占領したものの、
ミッドウェー海戦(s17・6~)の惨敗から形勢は逆転、
ガタルカナルも敗れ南方は苦境に陥る。この様な時唄われたのが
「ジャワの極楽ビルマの地獄死んでも帰れぬニューギニアニア」であろう。

 最早や尋常な手段では戦局を打開する道は無く、
自らが命を投げ出す「特別攻撃隊」が敵の攻撃を防ぐ唯一つの方法となった。
では一体誰が命を投げ出すのだ、相当の議論が交わされたと思いが
此処で誕生したのが命令とは異かなる志願に依る特攻隊であろう。

 それは、自らも祖国、親兄弟、愛する人々を守らねばならないと言う使命感と俺達が死んで日本を守ると言う崇高な心で身を捧げた優秀な若者(17歳~23・4歳)達であったのではないでしょうか。
 戦後の奇跡的ともいえる日本の復興は生き残った日本国民が
彼等を初めとした祖国のために犠牲となった人達に対し惜別の情と
恥ずかしくない生き方をしようと懸命に努力し働いた結果だと思いました。

 古来人類は鳥獣魚を獲り、草木果実種等を採りそれらを食して命を繋いできた。
また神社仏閣の建造では2~3千年の木を切ります。
この様な大木には皆畏怖を覚えます。
木を切ると言う事は木の命を断つ事です。
伐採の時そんな畏れ多い事をしてよいのだろうかと心が乱れる。
この時棟梁は皆のものに言うそうです。
この木を切ると言う事は命を断つのではない、
我々宮大工が精魂込めて社(ヤシロ)を建造して樹木が育った以上の年月を
社とし形を変えて生かすのだと。
この様なことはいわゆる「命の移し替え」であると習った事を思い出しました。

 この例を借りると、今自分が生きている、生かされているのは自分の力ではない。
戦争で犠牲になった先人の貴い命の移し替えがあっての事と考え改めて
「命」って自分だけのものではないのだと思いました。
これからは一層命を大切に誠実に生きなければと思っている次第です。

 最後になりましたが、此の度の濃密な内容の研修会を企画して下さった
白柳社長や関係幹部の皆さま本当にありがとうございました。

ご講演と各所ご案内頂いたメデイアジョンの山近社長、高濱さん、
竹内さんありがとうございました。

2日間貴重なお話を聞かせて頂き、またお世話頂いた富屋旅館の女将さん、
従業員の皆さまありがとうございました。
2日間安全運転で各所ご案内頂いた運転手の吉永さんありがとうございました。

いつも隣の席でアドバイスして下さった千葉監査役、
お付き合い頂いたエイトの皆さまありがとうございました。

参与 菅沼 康光 (元 株式会社安藤建設 取締役)

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2012年1月28日 (土)

2012年 新しい年を迎えて

昨年は、東日本大震災をはじめ、世界中で様々な出来事がありました。
みんなが、今までの価値観を変え、自分の考えや行動を
変えなければならないと思いはじめました。

自分は、何をしたら良いのだろうか。
どのような事をすれば良いのだろうか。
そんな折、昨年12月に鹿児島県の知覧へ研修に行くことになりました。

Ishihara_c2

富屋旅館女将 鳥濱初代さんの講和 

今までの自分を見つめ直し、これからの人生を歩んでいく為の
道しるべを示して頂いた気がします。
人、物、すべてに感謝し、気づかいや思いやりを持って考え行動し
謙虚で誠実な人間でありたいと思いました。

自分のやるべき事は何か、自分の役割は何か。

会社全体の経営方針を部門に反映させる
部門の方針をつくり管理していく
利益を出し会社に貢献する
部下を教育し育てる
モチベーションを高める
社会に貢献する

やるべき事は無限にあります。

新しい年を迎え、気持ちを新たにし、自分を高め、皆さんのお役に立てる
人間になりたいと思います。

建物総合事業本部 課長 石原 繁樹

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2012年1月27日 (金)

知覧研修において

富屋旅館をベースに
少年飛行兵それも特攻についての研修

特攻という言葉は知っていましたが
実際どんな生活をしていたのか
どんな気持ちで沖縄の空に飛んで行ったのか

映画と富屋旅館の女将さんの話でだいぶ分かりました。
戦後生まれで、戦争に対する知識が乏しく
今回の研修で色々学ぶ事が多く
私にとっては2日間の研修に参加できた事は
今後に残る貴重な研修になりました。

映画の中で、卵にまつわる場面がありましたが
戦後、世の中がだいぶ落ち着いた中でも
生卵は、病人のお見舞いに使われるなど
とても貴重な食べ物でした。

今私達が、何不自由なく生活できる事は
先人達の努力と犠牲があっての事と今更ながら感謝。
とても良かった研修。

社長に感謝致します。
富屋旅館の女将様、従業員の皆様
一人芝居の女優 たぬきさん
大東亜戦争の勉強会をして下さった
株式会社ザメディアジョンの山近社長様
コーディネイトして下さった高濱様、竹内様
バス運転手のアーベル交通 吉永様
お世話になった皆様に感謝いたします。

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建物総合事業本部 主任 西垣 健治

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2012年1月26日 (木)

絶対と相対

平成生まれの僕はよく人に・・・
「大変な時代に生まれたね」とか「不幸な世代だね」などと言われる。
確かにバブルの恩恵を受けていない(ここではあえて受けていないと書く)
というだけで、その世代を経験した人からすれば僕らは可哀想なのかもしれない。
円高不況、東北大震災の起きた時代に人生を左右する年齢だという意味でも
僕の世代は可哀想という意見をいろいろな所で耳にする。

父に気付かせてもらった高校生くらいまで僕は自分が可哀想で仕方なかった。
トラウマとまではいかないが、僕には悪い条件反射や過剰に反応してしまう言葉がある
コレをネタに自分を「可哀想な存在」に仕立て上げる事により
人に同情してもらおうとしていた。
何とも哀れである。今考えればその考えをしてしまっている事が可哀想である。

父が伝えてくれた事はこうだった。
「それ治さないとお前が大変だぞ」
理不尽だ・・・
なぜそう感じたかというと、その悪い条件反射や過剰反応する言葉が出来た
原因こそ父であると当時の僕は考えていたからである。
しかし、父の言葉は正論だった。よく考えれば解る事だった。

もっと細かく書きたいはずなのだが、昨日知覧という素晴らしい場所から帰ってきた僕は
ここまで書いた自分の不幸話(不幸ではないがw)がどうでもよく感じてこれ以上書くのが面倒になってしまった。w

上記で述べた事がデパートの屋上なら、知覧はディズニーランドなのだ!
(書いてる本人はディズニーランドに15年以上行っていない)

大東亜戦争中の僕と同年代で特攻していった人、その人達を身を削って支えた人、
大好きな部下に死ねと命令した人、責任を果たす事を禁じられた人、愛する人の為自らわが子と入水した人、死ぬ覚悟をして生き残ってしまった人、

その人達の残した様々なモノや思い、志、愛がそこにはありました。
今の自分と重ねる事が出来たのですが、頭おかしくなるかと思いました。

「怖い」「何もかも投げ出したい」「今にも大切なモノを奪われる」「本当にもうやめてくれ」

想像しただけで鼓動が早くなる。ほんの少しの疑似体験だけで全てを閉ざしたくなる。
涙を流す余裕が持てない心の震え。
実際に経験した人はどれだけ強かったのだろう?
きっとその時代の人はみんな生まれつき強かったのではないのか?
違う!!!!
時代世代など関係ない!同じ人間がしてきた事なのだ!!だから僕も出来るはずなのだ!
なのに何故少しだけ経験値を分けてもらっただけで僕はここまでのダメージを受けたのか?
答えは簡単!怠けているのだ。
戦争を知らない人と平和を知らない人の価値観は違う。
しかし、知る事により、近づく事は可能なのだ。
その価値観は真剣に考えた人のみ獲得できるモノ。
社長が言う「気付き」とはこの事だと僕は思っています。
どんな事でもちゃんと考えればそれがどれだけ大切で、大変で、残酷で、
幸せで、あたたかくて、ありがたくて、苦痛で、滑稽で、
必然で・・・嬉しい事か、悲しい事か、ちゃんと解る。思いやりをもてる。
社長が普段言っている事と、女将さんがバスで言っていた事が同じだったのは
きっとこの仕組みのせいだ。

未熟な僕が得た収穫の中でまとまっているのはまずこの一つ。
こういう時にもっと日本語が上手くなりたいと強く思います。
ちゃんと伝えられない自分が悔しいからね♪

知覧という素晴らしい場所を世に広めてくださっていて、
今回重要なお話をしてくださった
ザメディアジョンの山近義幸社長!

弊社の新卒採用で大変お世話になっており、
参考DVD視聴の為にわざわざプロジェクタ等を用意してくださった
ザメディアジョンの竹内さん!

バスの中でバランスを崩しながらもいろいろな事を説明してくれて、
テキパキと案内をしてくれた
ザメディアジョンの高濱さん!

とってもとっても深いお話をしてくださった
富屋旅館の鳥濱初代女将さん!

美味しいご飯とあたたかい布団。
バスでのお弁当を用意してくれた
富屋旅館の皆さん!

初日からバスの運転を担当してくれて、
鹿児島の豆知識を高濱さんを通して案内してくれた
アーベル交通の吉永さん!

一緒に行って学んだエイト社員の皆さん!

残ってエイトを支えてくれていた皆さん!

上記の方々の協力無しに今回の研修成果は得られませんでした!
改めてお礼申し上げます!!

ありがとうございました!!

建物総合事業本部 白柳 広賢

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2012年1月25日 (水)

知覧研修

12月17,18日と二日間知覧研修に参加させて頂き、
とても貴重な経験をさせて頂きました。この機会を作って頂いたこと、
本当に感謝しております。

特攻隊の事は学生の頃の教科書などでの知識しかなく、
知覧という地名も4月に社長がブログで紹介していた山近義幸様の
「知覧道」の本の紹介で知りました。

1日目の富屋旅館様での、「たぬき」さんのお芝居、
その時代に引き込まれるような気分になってしまい、
涙をとめることができませんでした。

山近様の歴史勉強会、詳しい説明をして頂きとても勉強になりました。
食事を頂いているときと映画を見ている時、
なんだかふっと特攻隊の方々が一緒にいるような気がしました、
それは怖いという気持ちではなく。

二日目、
三角兵舎の跡地より特攻隊の方々が飛び立つ為に向かった飛行場までの道のりを
少しですが自分の足で歩きながら、どんな気持ちで向かったのかと
思えば思うほど胸がつまる思いでした。

富屋旅館の三代目女将の初代さんの講和では本当に考えさせられることばかりで、
今までの人生を振り返る良い機会となりました。
いろいろな問いかけの中で、自分がどれだけ有難い境遇で過ごしているのか、
それなのに不満を言って欲しがる気持ちばかりだったのではないかと
考えさせられました。

これからの人生、まずは自分の周りから、
考えるだけでなく行動できるようにしていきたいと思います。

社長からのお話で、まだまだ気づきが足りないことを痛感致します。
それでも日々考え、感謝をし、
少しでも気づきが増えるように生きていきたいと思います。

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建物総合事業本部 主任 小島 陽子

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2012年1月24日 (火)

知覧研修

先日、弊社では社員40名で鹿児島県の
知覧町に研修に行かせて頂きました。

まずは、お世話になりました、
株式会社ザメディアジョンの
山近社長様・竹内様・高濱様。
アーベル交通の吉永様。
富屋旅館の鳥濵初代様はじめ従業員の方々。
俳優の「たぬき」様。
弊社白柳社長・管理本部の皆さんに
心より感謝申し上げます。

この研修では66年前に知覧から飛び立った、
1036名の特攻隊員の方々より学ぶものでありました。
「あるがままに気付く・不便を感じる」
がテーマです。

私は1年半ほど前にもこの地を訪れたことがあり、
以前もブログに書かせていただきましたが、
「知覧特攻平和会館」で、わずか30分程度の見学だったため、
隅々まで見ることができないで終わってしまいました。

今回は2日間に渡り、初日、市内施設巡り、
当時の内容を劇にした「たぬき」さんの一人芝居、
その後歴史勉強会で当時の経緯を学びました。
二日目、早朝に特攻隊員の方々が飛び立つ前にすごした三角兵舎の
跡地を散策した後、三代目女将さんの講和を聞く。
そして知覧特攻平和会館への見学となり、
この大東亜戦争が起きた理由、
そして終戦になった理由などが時系列で学ぶことができました。

特攻隊の方々は二十歳前後の青年真っ盛りの時に、
親、兄弟、子供、愛する人達を守るために、
自らの命を犠牲に飛び立っていった。
もう親孝行も出来ない、勉強も出来ない、なにも出来ない・・・

この方々の一人ひとりの気持ちを全て聞くことは、
今は出来ませんが、少しでも心情を察することを
しなくてはいけないと思います。
今、私たちが出来ることで、大切にしなければならないことを、
すぐにやらないといけないと感じました。
また「生きていて、いろいろなことが出来る」
と云うことに感謝しなければいけない。

私たちが今のこの平和な世の中に生まれ、
程度の差はあれど、衣食住に関して不自由なく生活できながらも、
わがままを云い周りに迷惑を掛けている。

親への感謝、
お客様への感謝、
周りの人への感謝、
平和な日本に生れたことに感謝、
仕事をさせて頂けることに感謝、
そして全ての方々への気遣い、
私には出来てないことがまだまだあります。
今から始めます。

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Hanamura_c2

建物総合事業本部 副本部長 花村 忠昭

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2012年1月23日 (月)

知覧研修

一言で特攻隊と言っても特攻隊の1人、1人にドラマがあり
志願してからの数日から数ヶ月の間、何を思いそして何を求めていたのか、
きっと約40名の社員みんなそれぞれが、感じる事が出来た研修だと思いました。

そして、今回の研修のテーマが『気づき』と言う事で、
歴史の中からの気づきもいっぱいありましたが、
普段、生活するにあたりまえの事が、
あたりまえに出来ていない事に気づかされました。

気づく為には、ちょっとした事でも、(自分なら?)って相手の事を
自分に置き換えてみて嬉しいなって思う事を出来る様にと考えて
少しづつですが実行していきたいと思いました。

後は、色々興味を持つようにしました。
興味が無いと、意識しなくなるので、
そして意識しないと気づく事も気づけなくなってしまうと思ったからです。

まず、その二点を意識し
最終的には『良く気づく人だね』なんて言われる様に頑張ります。

そして今回の研修旅行に携わって頂きましたザメディアジョンの山近社長、
高濱様、竹内様、アーベル交通の吉永様、冨屋旅館の女将、従業員の皆様
最後に、白柳社長貴重な体験をいっぱいさせて頂き
ありがとうございました。

米軍事業部 伏見 孝介

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2012年1月22日 (日)

知覧研修を終えて

朝8時羽田空港集合、もうこの時点で研修は始まっていました。
私は学生気分で社員旅行を兼ねた研修としか思っていなかったので、
社長の一言で「甘かったぁ~」と気づくとともに、
気を引きしめてこの研修に参加しなければならないことを、
一瞬の空気で読み取りました。

羽田から知覧への研修がスタート。
私は特攻隊の基地が知覧にあったこと、
特攻隊員に「おかあさん」と呼ばれていた鳥浜トメさんという女性がいたことは、
数年前に岸恵子さんが出演した「俺は、君のためにこそ死ににいく」の映画を
観ていましたので、多少はわかっていたつもりでしたが、
富屋食堂(現富屋旅館)に着き、
おかみさん(鳥浜トメさんのお孫さんのお嫁さん)のトメさんから受け継がれた
特攻隊員さんの「命の尊さ」、「命の輝き」についての貴重な講和や、
一人芝居をしてくださった女優のたぬきさんの一瞬目の前にトメさんがいるかのような
真迫の演技におもわず引き込まれてしまい、涙、涙・・・。

そして研修初日の最後は、映画「俺は君のためにこそ死ににいく」を観ました。
前に観た時には、「こんな時代に生まれてかわいそう」と涙しましたが、
そんな簡単な言葉では終わらせてはいけないのです。
絶対に風化させてはいけない、後世に伝えていかなければいけない
重要な課題をいただきました。
生きたくても生きられなかった特攻隊の若者達の思い、精神力の強さと悲しみ、
そして愛する人を失った父、母、妻、恋人、兄弟、子どもの悲しみが胸にこみ上げ、
涙が止まりませんでした。

今の私たちは「生きる」ということへの感謝など微塵も考えたこともなく、
不平不満を言い、生きていることへの感謝の心など抱くこともなく
毎日を淡々と過ごしていました。

 今回の知覧研修に参加させていただき、
「命の尊さ」と「生きるということ」について、初めて真剣に考える機会を
与えていただきまして、本当にありがとうございました。

合掌

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東北三沢支店 生駒 英子

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2012年1月21日 (土)

エイトの社員研修はなぜか歴史的な大事件と重なっている

エイトの知覧研修のため、 12月17日朝、社長以下40名の社員が、
羽田空港から鹿児島へ向け搭乗手続を始めていたころ、
北朝鮮の金正日総書記が心筋梗塞で急死されていた。

この重大ニュースは死去から51時間後の発表で分かったことであるが、
なぜかエイトの社員研修は、昨年に続き、歴史的な大事件と重なる結果に、
社長の深い思いを感ぜざるを得ない。

 研修旅行は毎年、実施日の2カ月前に決定され、
昨年は12月10日から3日の予定で韓国の軍事境界線にある板門店を見学した。

しかし旅行の2週間程前の、11月23日、午後2時34分、
北朝鮮側から韓国の延平島に向け150発もの砲弾が撃ち込まれ、
80発が島に着弾、民間人を含む死者が出るという大事件が発生した。
その後両国間に緊張が走り、板門店に見学者の立ち入りが認められたのは
実施日の4,5日前だったと思う。

 一人一人誓約書を書かされた時の緊張は、いまも忘れることは出来ない。
 今回の知覧研修は[気付き]をテーマにしたものであるが、
集団生活の経験のない若い社員にとっては驚くほど厳しい内容だったかも知れない。
夕食の配膳、時間を有効に活用しないと入浴さえできない環境、
冷たい水しか出ない朝の洗顔、スリッパの揃え方、早朝6時30分開始の現地実査、
見学ポイントを異動するごとの点呼などは、社員にとっては
初めての体験だったと思う。

 若い社員の動きをみていると、かつて18歳で警察官を拝名した
青春時代を思い出さずにはいられなかった。

 入校した警察学校は今、武道館が立っている北の丸公園の中にあり、
旧近衛師団隊舎を使用した建物は板目から月灯りが見えるほど朽ちており、
寝室とされる部屋と言えば、コンクリートが張った廊下の両側に、
8人用の畳があるのみで仕切りさえなく、桜の時期なのに
あまりの寒さで夜中に目を覚ますこともしばしばだった。
風呂時間が10分と指定されていたほか、起床、清掃、洗顔、
食事などすべてに時間指定があり、場所の異動は駆け足だった。

今回の研修は、社長から示される[社員を幸せにするため]のさまざまな方針に対し、
社員として[自分はいま何をなすできか]を悟る最高の研修だった思う。

 金正日総書記死亡という歴史的な重大な日と、
知覧研修が図らずも重なったという事は、この研修の意味するところを
忘れないでほしいという社長の思いがどこかで結び付いたものと思えてならない。

社員研修にことのほか力を入れてくれる社長に感謝したい。

Chiba_c1

監査役 千葉 久公

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